2014年の7月14日の夕方、倉敷市で帰宅途中だった小学5年生の女児を、当時49歳の藤原容疑者がカッターで脅したうえ車へ連れ込み誘拐、自宅へ監禁しました。
女児が下校中に男と話している様子が目撃されており、車のナンバーも記録されていたそうで、それらを手掛かりとして、現場から8キロほど離れたところに住む藤原容疑者が捜査の対象となりました。また、容疑者について調べていると、近くで大量にお菓子を購入している様子も目撃されていたとのこと。
事件発生から5日後、19日の夜に警察が容疑者宅へ突入。犯人は1人暮らしをしていたそうで、その家の1階の部屋で女児は無事発見されました。パジャマ姿でテレビアニメを見ている女児を、容疑者が眺めている、という様子で、女児を「(自分に)妻です」と発言したとされています。
容疑者は少女に対して身体的な暴行などは行っていなかったそうですが、逃走してしまわないよう乱暴な言葉をかけていたといわれています。
容疑者は幼い女児が好きだったとのこと。誘拐された女児に以前から目をつけていたとされ、車は女児の自宅付近で何度か見かけられていたそうです。
父親は無くなっており、母親は介護施設に入っているため一軒家で一人暮らし。残されたお金を使って、女児が発見された部屋に、防音加工リフォームを行っていたことも明らかとなりました。
女児へお菓子をあげたり、好きなアニメを見せたりして、長期的に監禁する予定だったとの子。
2014年の10月ごろから裁判が開始。藤原容疑者へは、2015年の10月28日に懲役6年と6カ月が言い渡されました。裁判では、女児へ暴行が行われていなかったこと・謝罪の意思があることが確認されたうえで、計画的であったかどうかに特に注目が集まりました。
検察は容疑者が行っていた部屋のリフォームに加え、パソコンに残されていた日記を証拠として、計画的犯行だと主張し上述の懲役が確定。
発見された日記は「光源氏」とタイトルがつけられており、男性の母親が施設へ入居した2013年6月ごろからスタートしていたとのこと。犯行に向けたものと思われるリフォームや手錠の入手、車での偵察などの「用意」や、女児を誘拐した後に過ごした生活などについて書かれたいたとのこと。「これから飼育していく」という旨の記述なども決め手となりました。
2014年の3月10日、当時千葉大学生だった寺内樺風被告人は、当時中学一年生(17歳)の少女を車へ連れ込み誘拐。少女が行方不明になった後、その両親と警察は捜査を行っていましたが、事件の手掛かりを見つけることは出来ませんでした。
少女は2016年の3月に、寺内被告が出かけている間に逃走しJR東中野駅の公衆電話から自宅へ連絡。発見されるまでの約2年間、被告のアパートへ監禁されていました。
監禁されている間は、自身でアサガオの種から抽出した、麻薬に近い成分を少女の食事に混ぜるなどしたりしていたとのこと。
寺内被告は以前から女学生を監禁したいという考えを持っていたとのこと。住んでいた千葉県から50キロ離れた埼玉県まで車で移動し、下見などをおこなっていたそうです。また、6代の車から盗んだナンパープレートを付け、特定されないようにしていたとのこと。2014年の3月上旬に、下校する女子中学生を尾行し、お家の植木鉢に名前が記されていることを確認しました。
そして10日、下校中の少女へ「両親が離婚する、弁護士と話さなければならない」などと声をかけ車へ連れ込みます。車中ではこれが嘘だと暴露したうえで、「あなたの両親はあなたの臓器を売買しようとしている」などと嘘ぶいたとのこと。その際、事前にソフトで作成した音声データまで使用していたとのこと。
大学の友人は寺内被告と一緒にいたとき、そばを女の子が歩いているのを見つけた際に「連れて帰りたいな」などと発言していたことを覚えているそうです。なおその当時、寺内被告は少女を監禁していました。
実は少女が誘拐された年の4月、寺内被告が外出した際、部屋の鍵(外側からかんぬきが付けられていた)がかかっていなかったのを見計らって脱出したことがあったそうです。
時刻は朝の11時頃で、近くの公園で子連れの女性を見つけて声を掛けましたが「忙しいから」と言われて話を聞いてもらえなかったとのこと。公衆電話は見かけなかったため、部屋へ一度戻ったそうです。
再度公園を訪れ、別の女性へ声をかけましたが「無理です」と同様の反応。この時を振り返って、少女はとてもショックを受けたと語っています。そして、誰も助けてくれないと思い込み、部屋へ戻ってしまったとのこと。
誘拐時から部屋へ住まわされている期間に、寺内被告から精神的に苦痛を与える発言を執拗に受けていたことから、このような判断をしてしまったのでは、と言われています。
しかしその後、ニュースなどで両親が絶対に見つける、と発言していたのを見つけ、2年間耐えることが出来たとのこと。
女子学生を監禁しながらも平然と学生生活を過ごしていたこと(就活も行い就職先も決まっていた)、裁判中に奇声を上げるなどの行いをしたことから、メディアで多く取り上げられました。
事件発生から4年後の2018年3月12日に、懲役9年が確定しました。15年の求刑に反して9年となった理由としては、少女を閉じ込めるためのかんぬきを外したりしていたこと、その状態で外出したりすることがあったこと、暴力なども特になかったことなどが挙げられています。
ゆんゆん
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北海道と東京で、2001年から2005年の間に、1人の男によって複数の女性が異なるタイミングで監禁し、暴行するという事件が発生しました。
2001年に札幌で知り合った女性(当時20歳)が2週間ほど監禁。女性は被害届を提出し、男は2002年に一度逮捕されます。そして、2003年8月には懲役3年、執行猶予5年が言い渡されます。
その執行猶予期間中に東京へ移り、2004年の2月、ネットで知り合った女性を東京都内のマンションなどでおよそ3カ月ほど監禁。少女は逃亡し、保護されました。この後、男は2003年12月から2004年の12月までの間に、他にも3名の女性を監禁していたことが分かります。
・17歳の少女(青森)およそ3日間
・22歳の女性(東京)およそ4カ月
・23歳の女性(東京)およそ10日間
そして2005年の5月12日に逮捕されました。
男の転居を確認するためのファックスが、青森保護観察所から東京保護観察所へ送られていなかったミスにより、執行猶予期間中の再犯を防げなかったとされています。
男は青森県の裕福な家庭に生まれ育ち、アダルトゲームが好きだったとのこと。希望する私立高校の入試に落ち、県立高校へ進学しましたが中退、24歳当時は無色だったとのこと。そして母親が亡くなった後に実家を離れて一人暮らしを始めたそうです。
被告の住まいからは女性を監禁するゲームなども発見されており、「ハーレムを作りたかった」という発言も確認されています。
2012年の7月24日に、懲役14年が言い渡されました。また、この件をきっかけに、「PTSDのような精神的ダメージも、暴行などと同様、刑法の傷害にあたる」という最高裁の解釈が明示されました。
ちなみに、犯人が整った顔立ちをしていたことから、メディアやネット上で「監禁王子」と呼ばれることもありました。