国: イタリア
年齢: 1881 - 1925 (44歳没)
盗んだもの: モナリザ
イタリア人のビンセンツォは、とんでもない大泥棒。なんと、レオナルド・ダ・ヴィンチによる絵画「モナリザ」をルーブル美術館から盗み出しました。
彼は特に泥棒が得意だったわけではなく、もともと塗装工や大工などとして働いていたとのこと。そんな彼がモナリザを盗んでからモナリザを盗んだ男として自ら世間へ公表するまでの約2年間、警察は彼を犯人として特定することが出来ませんでした。
なお、その2年間に画家の「ピカソ」が疑惑をかけられたこともあります。彼の友人であるアポリネールという詩人が、よく盗みを働く男と友達で、ピカソは以前その窃盗常習犯から美術品を購入したことがあったため。証拠がなかったため、ピカソは無事解放されました。
ビンセンツォは「ナポレオン(フランス)に奪われたモナリザを祖国のために取り返した」という旨の手紙をイタリアの美術商へ送ります。ダヴィンチはイタリア人のため、その彼が描いた絵をフランス(ルーブル美術館)から取り返した、という意味ですが、実際はフランスの王様フランソワ一世により正式に買取られています。
彼と会った画商とフィレンツェ美術館の館長は、その絵が本物であることに驚愕。2人が警察へ連絡し逮捕されてしまいます。
ビンセンツォは絵を公表するために祖国イタリアを訪れており、裁判もイタリアで行われました。また「モナリザを盗んだのは愛国心からだ、金の為ではない」と主張。ルーブル美術館へ返却される前にモナリザはイタリア各所で展示され、ビンセンツォを英雄視する人々もいたそうです。
実際彼はたった7カ月の禁固刑を言い渡されたのみで、とんでもない盗難事件であったにも関わらず、非常に軽い刑となりました。
ビンセンツォはルーブル美術館で、モナリザを保護する為のガラスケースを設置する仕事を行ったことがありました。そのため、絵画の取り外し方や、ルーブル美術館内部のつくりなどについて詳しかったそうです。
1911年の8月21日はルーブル美術館の休館日。また、館内工事なども予定されていたため、美術品の移動や、工事作業などで館内はごちゃごちゃです。
当時およそ30歳のビンセンツォはこの日に盗み出すことを決め、前日に美術館へ忍び込みます。館内に倉庫があることを知っていたため、その倉庫へ身を隠します。閉館時間を過ぎた後も移動しませんでした。
翌朝、ルーブル美術館で仕事をする職人のみが着用する作業服へ着替え、倉庫を出ます。館内には別の工事スタッフもいましたが、モナリザが設置されているエリアには誰もいませんでした。そのまま額縁から絵を取り外し、作業着(スモック)の下へ隠します。油断している警備員は水を汲みに席を外していたため、疑われることなく美術館を後にしました。なお、警備の甘さを指摘された当時の館長はクビになったとのこと。
彼はそのまま2年間、自身の住んでいたアパートの部屋へその絵を隠し持っていました。ルーブル美術館で働い事のある経歴、そしてモナリザを盗んだ日の仕事には2時間遅刻していたということもあり、警察から事情聴取が行われたましたが「単なる寝坊」で警察を納得させました。
実はビンセンツォには仲間がいたのでは、とも言われています。Eduardo de Valfierno(エドゥアルド・バルフェルノ)という詐欺師が首謀者で、彼が贋作師に作らせた偽のモナリザを「本物」として富豪へ高額で売りつけるため、ビンセンツォとランチェロッティ兄弟(3名はいずれも美術館へ出入りしたことがある)と知り合い、彼らへ窃盗を依頼したとのこと。
ビンセンツォの家へ警察が事情聴取に来たときは絵はランチェロッティ兄弟の家にあり、その後ビンセンツォの部屋へ運び込まれたともいわれています。
確かに、「祖国へ伝説の絵画を取り戻す」ことが目的なら、2年間待つ必要はありませんよね。窃盗を成功させた後エドゥアルドからお金を受け取り、その後モナリザ(本物)の買い手が見つかればさらに大金を受け取る約束となっていたそうです。
しかし、エドゥアルドは用意しておいた偽物を富豪へ売りつけ、そのまま高飛び。連絡がつかなくなってしまいます。ペルージャはビンセンツォの計画を聞かされておらず、2年間の大気にしびれを切らして、なんとかお金にしようと画商へ連絡したとのこと。ただし、「取り返す」という大義名分を添えることを忘れませんでした。
ビンセンツォは裁判で、仲間の事を口走るようなことはしませんでした。
この真相はエドゥアルドが生前、友人の記者へ語っていて、エドゥアルドが亡くなった後に公表するよう伝えられていたとのこと。果たしてエドゥアルドの話した内容が本当かどうかも不明ですが(なにしろ大物詐欺師ですから)、1921年に記者により公表されました。
Lima Public Library
followKeep It Real #bookclub meets on April 4th. Still time to read Confessions of a Master Jewel Thief by Bill Mason https://t.co/xg84RJGvCf
国: アメリカ
年齢: 1940 -
盗んだもの: 宝石
ビル・メイソンは30年の間に40億円(3500万ドル)相当の宝石を盗み出したことで有名です。メイソンによる窃盗の被害に遭った有名な富豪として、以下の3名などが挙げられます。
・Phyllis Diller アメリカの大物女優・コメディアン、
・Johnny Weissmuller アメリカの水泳選手(オリンピック金メダリスト)、俳優
・Armand Hammer アメリカの起業家・事業経営者
メイソンは不動産管理人という仕事、そして家族というごく一般的な「昼の顔」を持ち合わせており幸せにくらしていたとのこと。それでも盗みを繰り返したのは、「スリル」であると著書で語っています。それが破滅的行為であると自覚しながらも、ある種の中毒的作用を持つ窃盗行為、それを完璧に成し遂げることに酔っていたとのこと。
少なくとも2回逮捕されており、刑務所での生活は退屈で苦痛であると知っていても、止められなかったそうです。2度目の刑務所生活の後、窃盗に入ったコンドミニアム最上階へ侵入する際、あやうく落下!という体験をしたのをきっかけに目が覚め、足を洗ったのでした。
1人で、けが人を出すことなく、留守を狙う(空き巣)のが彼の泥棒としてのポリシーでした。
いずれの富豪も「防犯は完璧」を謳う高級コンドミニアムの高層階に住んでいましたが、住人の多くはそれに油断しているとのこと。コンドミニアム15階に住むArmand Hammerはバルコニー(ベランダ)の戸締りをしておらず、防犯アラームも起動させていませんでした。
メイソンはある種原始的ともいえる手法(壁に張り付き、窓枠にしがみつき、ロープを使う)を駆使して侵入を成功させていたそうです。
国: アメリカ
年齢: 1930 -
盗んだもの: 宝石
ドリス・ペインは60年間に総額2億4000万円程(約200万ドル)ほどの窃盗に手を染めた宝石泥棒。彼女の名が一躍知れ渡ったのは、1970年代モナコのモンテカルロで起こった10カラットダイヤモンドリングの窃盗事件。その価値はなんと50万ドル(およそ5000万円)でした。
彼女は1980年に一度捕まりますが逃走。その後も盗みと逮捕を繰り返しています。おそらく、いまだ警察が特定できていない窃盗もあるでしょう。以下は、現在までに明らかとなっている彼女の窃盗です。
・2010年カリフォルニア、バーバリーのトレンチコート(1300ドル)のタグを外し、それをもって店を出る。
・2015年ジョージア州アトランタ、ディオールのイヤリング(690ドル)をポケットへ入れる様子がカメラへ撮影される
・2015年ノースカロライナ州シャーロット、女性が店を出た後に33,000ドル相当のダイヤの指輪が無くなっていることにショップスタッフが気付く
2015年当時、彼女は85歳。様々な容疑で捕まったり、その際に別の宝石泥棒容疑の裁判をかけられたりと波乱万丈ですが、まだまだ現役のようです。メディアへの取材にも積極的に応じており、「盗みに入って何も取らずに店を出たことはこれまでに一回もない」と発言しています。
彼女の手口は非常にシンプル。まずは身なりを整えます。自身を「セレブに見える」洋服やアクセサリー、化粧で着飾り高級宝飾品店へ。
店員とどういうものを購入したいか会話する際は偽名を使い、ある有名人と知り合いであるとか、大ぼらを吹きます。が、これに騙された親切な宝飾品店スタッフは、彼女いわく「おもちゃを渡すかのように宝飾品をとりだし試着させてくれる」とのこと。自ら声をかけずとも、スタッフの方から彼女へ宝飾品を差し出してくるそうです。
そうしたら、「他のサイズはある?」と尋ねるなどして一瞬スタッフの気が紛れたのを狙って宝飾品をあたかも最初から着けていたかのようにしたり、カバンに入れます。そのまま店を出ても、スタッフはたくさん並んだ宝石の1つが盗まれていることには気が付かないとのこと。