アメリカの最も有名な子供失踪事件【3選】アダム法制定・アンバーアラート・疑惑の家族

アメリカで起きた子供の失踪事件で最も有名な事件をピックアップして紹介します。

本記事の要約

アメリカでは子供の誘拐・失踪事件が非常に多く、2017年に統計を基に公表されたところによると、40秒ごとに1人、1日2300人、そして毎年80万人のこどもが行方不明になっていると報告されています。

さらに、誘拐されてから最初の3時間以内に発見しなければ子供の生命が危ういということも知られています(誘拐された子供のうち76%が3時間以内に殺害されている)。


そんなアメリカで起きた子供の失踪事件の中でも、最も有名で悲劇的な事件を3つ紹介します。

アダム・ウォルシュ事件(1981)

フロリダ州のハリウッドという街に住む当時6歳のアダム(Adam Walsh)君が、1981年の7月27日午後に誘拐された事件。

アダム君と母親は、街のショッピングセンターを訪れていました。母親はランプについてお店の人に尋ねることがあったため、Atari 2600というゲームで遊びアダム君をゲームコーナーへ残し、自身の用事を済ませるためにその場を離れました。他の子どもたちもたくさんいたそうです。

12時15分ごろに用事が済み、アダムのところへ戻ると全員いなくなっていたました。お店の人へ訪ねると、小競り合いが起きたため、警備員が全員その場から立ち去るよう案内したとのこと。警備員は子供たちに親も一緒に来ているかどうか尋ねましたが、他の子供たちは親と来ておらず、そのまま出口へ案内されたとのこと。

アダム君は親と来ていることを言い出せず、他の子どもたちと同じ出口へ案内されたということでした。アダム君の両親いわく、「アダムは恥ずかしがりな性格だった」とのこと。

アダム君の捜索

母親がショッピングモールとその周辺を探し回り、館内放送なども利用しましたが見つからなかったため、90分後の13時55分に警察に通報。

アダム君が姿を消してから2週間後の8月10日夜(19時半ごろ)、アダム君の切断された首がビーチ側を歩いてた漁師により発見されました。窒息死させられた後に切断されたと見られ、残りの身体は発見されませんでした。

犯人の特定

調査の結果、アダム君は警備員に追い出された後、Ottis Tooleというショッピングモール近くに滞在していたトゥール(Ottis Toole)という定住先を持たない男により誘拐されたのでは、という疑いが浮上しました。
彼は自身で当時の状況を述べるなどしており、あまりにも正確であったことから調査が行われましたが、決定的な証拠は見つかりませんでした。また、彼は友人でシリアルキラーのHenry Lee Lucasと同様、シリアルキラーでしたが、より多くの殺人を自分がやったとするために嘘をつくことがありました。一方、自供内容を否定することもありました。

彼が1996年に獄中死する際も、彼の姪が「おじさんはアダムを殺したと自供していた」と語りましたが、これは信用できないとしてアダム君の事件の犯人として特定されることはありませんでした。

そして2008年、集められた情報を分析し、トゥールが犯人だったと警察が特定し公表されました。

事件のその後: アダム・ウォルシュ法制定

父親のジョン・ウォルシュ(John Walsh)はこの事件をきっかけに、アメリカのテレビ番組「America’s Most Wanted」の司会者となりました。この番組は未解決の犯罪などをテレビを通して伝え、犯人の特定と犯罪の撲滅を目指す番組です。

また、同様の事件を防ぐために、1984年にthe Missing Children's Assistance Act(行方不明の子供支援法)、2006年にthe Adam Walsh Child Protection and Safety Act(アダム・ウォルシュ児童安全保護法)が作られました。

アンバー・ハガーマン事件(1996)

1996年の1月13日テキサス州のアーリントンで、当時9歳だったアンバーちゃん(Amber Hagerman)が兄弟と自転車に乗って遊んでいるときに誘拐されました。

近所の住民の1人がその様子を目撃しており警察へ通報、アンバーちゃんの兄弟であるリッキーも自宅へ駆け込み母と祖父母に、何が起きたかを伝えました。

このことを知ったアンバーちゃんの父親は、1993年に娘を誘拐されていたMarc Klaasへ電話をかけどうすればいいか尋ねました。そして、アンバーちゃんの両親は各種報道機関やFBIにも事件の内容を伝えました。

アンバーちゃんの捜索

近隣住民も含めて捜査が行われましたが、誘拐から4日後の深夜、首に致命的な切り傷を負ったアンバーちゃんの遺体が、愉快現場からアパート裏手の小川で発見されました。

2016年時点でまだ犯人は見つかっておらず、犯人発見には$10,000(およそ110万円)の懸賞金が掛けれらています。

事件のその後: アンバーアラート設立

この事件をきっかけに、1996年にAMBER Alertという緊急警報が設置されました。未成年者(18歳以下)の誘拐が確認された際に、その目撃情報(地域、犯人の服装、車種やナンバーなど)がラジオ・テレビ・携帯電話などへ送信されます。

AMBERは公式にはAmerica’s Missing: Broadcast Emergency Response(アメリカ緊急誘拐警報)の略とされていますが、実際は当事件の被害者であるアンバーちゃん(Amber)に由来しているそうです。

ジョンベネ事件(1996)

コロラド州のボルダーという街で、ジョンベネ・ラムジー(当時6歳)ちゃんは12月25日夜のクリスマスパーティーに参加していました。

パーティー後、帰りの車中で眠っていたジョンベネちゃんを、父親が抱きかかえてベッドに寝かせたはずでしたが、翌朝いなくなっていたとのこと。

捜索と自宅での発見

母親が警察へ電話し捜査が行われました。自宅のキッチンには脅迫状が置かれており、「警察に連絡したらジョンベネちゃんを殺害する、朝8時から10時の間に身代金要求のための連絡を入れる」と書かれていました。

10時を過ぎても連絡は無く、自宅捜査を続けたところ、地下室から遺体が発見されました。口はテープでふさがれており、紐で縛ったと思われる痕が首に、懐中電灯で殴打されたと思われる傷が頭部にありました。

特に家族による犯行が疑われましたが、犯人は未だに見つかっていません。また、事件から数か月後、ジョンベネちゃんと同じダンス教室に通っていた別の少女が、何者かに誘拐されそうになった事件も起きました。

周囲の人物

父 ジョン

母 パトリシア

兄 バーク(当時9歳)

事件のその後

事件は、家族か、家族に関係の近いものによるものだと疑われていました。家族に関する情報として明らかにされいることは以下の通りです。


・ジョンはコンピューター関連の会社を経営していて、そのボーナス額は11万8000ドル。身代金で要求されていた金額と同じだった。


・母は元ミス・ウェストバージニアで、ミス・アメリカになる夢を叶えられなかったため、その夢を娘に託していた。あらゆるコンテストなどに参加していたため、ジョンベネちゃんはちょっとした有名人だった。


・兄が真っ先に疑われていたが、当時体重29kgの兄にそこまでの力はないはずだ、と言われている。


警察のミスで当時ジョンベネちゃんの遺体に付着していたと思われる犯人のDNAなどが、信頼できるレベルに達するほど残されていないなどの問題がありました。また、疑われた家族も捜査への協力を拒否。疑わしい人物のDNA鑑定なども行われましたが、適合せず、いまだ犯人は不明です。

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